「さよならを待つふたりのために」ジョン・グリーン 感想

  • 2016.12.13
「さよならを待つふたりのために」ジョン・グリーン 感想

どうしても吐き出したいので「とりかえ」の前にひと記事だけ!

岩波書店のヤングアダルト小説のシリーズ「スタンプブックス」を3冊読み終わったんですが、どれもすごく良かった!特にこの本は考えさせられました。


カバー裏のあらすじから。
「ヘイゼルは十六歳。甲状腺がんが肺に転移して以来、もう三年も酸素ボンベが手放せない生活。骨肉腫で片脚を失った少年オーガスタスと出会い、互いにひかれあうが……」
そう、互いにがんを患う二人のラブ・ストーリーで、けれどお涙頂戴ものではない。実際読んでてそんなに泣くことはなかったです。後から思い返して涙がにじむ感じ。後から感動が押し寄せてくる。

生存確率が20%だって言われたら、その五分の一になるのは自分だ。他の4人の子に打ち勝ちたい。健康な人が考えることと同じ、こんな連中より長生きしなきゃって。

というように、患者の気持ちがかなりストレートに、共感できる形で書いてあってまずそのリアルさに引き込まれます。
未来があるはずの青年の闘病記としても、ラブストーリーとしてもよく出来ている上、オーガスタスが「象徴」を、ヘイゼルが「詩」を好きなため、作中にふんだんに引用が出てくるし、「至高の痛み」という架空の一冊の本を中心に展開するので、適性年齢の読者には読書案内として、大人にも深く意味を考えさせられる作品になっています。
同じ作者の「ペーパータウン」で、失踪した少女が2冊だけ持ち出した本の内一冊がヴォネガットの「スローターハウス5」でした。むしろこの作品の方が強く影響を感じます。
ニーバーの祈り。親しい人の死が受け止められずアル中になった作家。「何もかもが美しく、傷つけるものはなかった」
でもヴォネガットの書く主人公は大体受動的ですが、この物語の二人は能動的で、そこが若さの持つ力なんでしょうか……。
「この世界で生きる以上、傷つくかどうかは選べないんです。でも自分を傷つける人を選ぶことはできる」
出来ない時もありますけどね……。運がいい、ってオーガスタスも自分で言ってます
が。「あらゆる救済は一時的なものだ」って。

名言が出たと思ったら、でもこういう考えもあるよね?と反証される、かなり複雑な話だと感じました。
がんのせいでもうすぐ失明してしまうアイザックが、それまでラブラブだった彼女と連絡がとれなくなり、
「約束は守るだろ。それが愛してるってことだ。愛してるなら約束は守るもんだ。真実の愛を信じてないのか?」
ヘイゼルはそれはなかなか素敵な愛の定義だと受け止めつつ、病気の自分を他人に一緒に背負ってもらってズタズタに傷付くまで一緒にいてくれっていうのは、アイザックのせいではないけど、優しいことじゃないよというのです。

オーガスタスとヘイゼルが、オランダのアムステルダムに旅行をするくだりは本当に美しい。高校生の年齢の二人が保護者(ヘイゼルのママ)付きとはいえ外国旅行に行く、その過程も現地での経験も、何もかもが美しい。
「至高の痛み」の、まるで人生のように突然消えて無くなった「その後」の結末を知りたくて作者に会いに来たヘイゼル。ヘイゼルの知りたかったことが「アンナの母親はどうなったの?」というただ一点だったことがわかる、そこだけ写植が太く大きくなった文字にはさすがに読み返すだけで涙が……。
ヘイゼルは時間的にも金銭的にも、そして精神的にも両親の、特に母親の全てを自分が浪費していると思い、自分の死後にそのことだけが気がかりなのです。
十三歳の時一度死の淵まで行ったヘイゼルは聞いてしまったのです、「もうママにはなりたくない」というママの言葉を……。
126pの患者本人を含めて治療方針を話し合うミーティング、「肺を移植するとかはできないの?」というヘイゼルに、主治医が唇を噛んで「あなたは有力な移植候補とはみなされないの」というその言葉に、傷付いたことを隠すヘイゼル、静かにすすり泣くパパ……。
自分がが今生きていることが両親にとって喜びなのはわかっていても、二人を常に苦しめている罪悪感に苛まれているヘイゼル。
「世界は願いを叶えてくれない」けれど、このわだかまりが最終的に解消される、その場面のデリケートな会話がとても良かった。ヘイゼルの死後に向けて心の準備をしていることをヘイゼルに知らせたくないというママの気持ち。
ヴァン・ホーテンみたいにならないで。自分たちの人生を充実して生きて、というヘイゼルの気持ち。
「悲しみで人は変わるのではない。自分をさらけ出すようになるんだ」
たったの8歳でがんで死ぬより最悪なことはこの世でたった一つ。がんで死ぬ子どもを持つことだーーというように、その事実に打ちのめされたまま立ち直れないヴァン・ホーテン。オーガスタスのお葬式を通してヘイゼルが与えた助言によって、彼が変わったと読者に思わせて、最後まで変わってないというのが胸に迫ります。働く必要がないという彼の出自のせいでもあるんですが、子どもを、愛をなくすということに耐えられない、弱い人間もいるということ。
オーガスタスはヘイゼルの勇敢さに救われましたが、強さと弱さは人間の中に必ずあるものです。

最終章で、オーガスタスが遺した手紙を見つけようとヘイゼルがもがいている場面。
「…思考は何度もアムステルダムにふらふら飛んでいった。リダヴァイさんが彼氏といっしょに自転車で街の中を走り抜ける。死んだ男の子が最後に書いた手紙を見つけるっていう普通じゃない任務を負って。リダヴァイさんの自転車の後ろに乗って、レンガを敷きつめた通りをガタガタゆれながら走ったらすごく楽しそうだ。リダヴァイさんのカールした赤毛が後ろに流れて私の顔をおおう。運河の水のにおい、タバコの煙のにおい。たくさんの人がカフェのテラス席でビールを飲みながら、私の知らないrやgの発音でしゃべる。」
未来がほしい、大人になれないことはわかってた、でも未来が奪われたような気がする、と感じるヘイゼル。
健康な人なら思い立てば今すぐにでも出来そうなことを、死んでしまったオーガスタスとしたかったと夢想するのではなく、生きている人と、生きている自分がしてみたかった。
「人間の欲望って限りなくて、夢をかなえても満たされないんだ。もっといいことがあるんじゃないかって、その繰り返し。」
でもその後、ママに連れられて公園にピクニックに行き、パパと合流したヘイゼルは思うのです。
今、目の前で起きていることが永遠じゃないってだれがいえるだろう?

映画にもなっていて、そちらは「きっと、星(運命ってことかな?)のせいじゃない」というタイトルだそうです。原題が難解なのでどちらも意訳してあるみたいです。翻訳は素晴らしいです。高校生が読んだらどうかはわかりませんが、違和感はありませんでしたし、とても美しかったです。訳者が後書きである映画に触れていて、それもとても良かった。

アムステルダムの中心部、十七世紀に建てられたという歴史あるカナルハウスで、未来のない二人がかけがえのないひと時を過ごすという人生の皮肉、二人が感動したニレの種の紙吹雪に、どこも種だらけでうんざりです、というウェイター。
「でも、きれいなものには慣れちゃうものだし」
本当は慣れるほどたくさんの時間を人間は持ってないってことを、みんな忘れて生きているんですね。
このことはどんな本にも昔から書いてある、とソーントン・ワイルダーも「わが町」で言っています。

「さて、みんなが知ってはいるが、それをじっくり見据えることは滅多にしない、そういうものがあります。われわれは、何かが永遠であることを知っています。それは家でもないし、名前でもない、地球でもないし、星でさえもない……でも誰もが、何かが永遠なんだと直感的にしっている……。そして、その何かは人間にかかわりあっているものだと。地球上に生きた最高の偉人たちは、五千年もそれを説き続けてきているのに、驚いたことに、人間はともすればそれを忘れそうになるんです。すべての人間の底知れぬ奥深くに、永遠なる何かがあるんです。」
(「わが町」ソーントン・ワイルダー/額田やえ子)

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