「戦争は女の顔をしていない」アレクシエーヴィチ 感想

  • 2016年10月19日
  • 2018年8月18日
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2016年のノーベル文学賞は驚きでした。
そして村上春樹氏は残念でした。
「プレジデントネクスト」の19号の「村上春樹とノーベル賞」を読んで勉強してたんですが、この雑誌の内容は、受賞は難しそうだけど春樹が偉大な作家であることには変わりないというスタンスでした。
私も「ノルウェイの森」を下巻まで読んで、「緑」にすっかり魅了されてしまいました。会話文が抜群に上手いですね。思ったより読みやすかったし、もっと早く読めば良かったです。

そして2015年のノーベル賞作家、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(覚えられない)の表題の本を読みました。
いつも行く本屋さんで面陳になっていて気になっていたのです。ありがとう、書店員さん!思わず感謝したくなるくらい素晴らしい本でした。
[amazonjs asin=”4006032951″ locale=”JP” title=”戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)”] 岩波現代文庫。帯によると、
「ノーベル文学賞受賞作家のデビュー作で主著!
隠されてきたソ連従軍女性たちの声を発掘」ということです。
裏表紙に簡単な内容説明があります。
「ソ連では第二次世界対戦で百万人をこえる女性が従軍し、看護婦や軍医としてのみならず兵士として武器を手にして戦った。しかし戦後は世間から白い目で見られ、みずからの戦争体験をひた隠しにしなければならなかったーー。五百人以上の従軍女性から聞き取りをおこない戦争の真実を明らかにした」
Amazonのレビューは14件が全て満点!どんな難しい内容かと思いますが、これがもう、読みやすいのなんの!正直春樹の何倍も読みやすい。三浦みどりさんの渾身の翻訳のせい?するりと頭に入ってきます。けれどその内容の重さときたら……衝撃の読書体験を味わえること請け合いです。

一般女性からの聞き書きという形ですので、基本的にごく平易な話し言葉で書かれています。大変読みやすい。けれど話す内容は悲哀と汚辱と限界状態での生と死……よく五百人にも話を聞いてくれた、著者の精神力にまず感動します。

公式には18歳からなのに、それ以前の年齢で参戦した少女たちも多かったので、お母さん、と母を求める声の多いこと。
馬というものは普通決して死体を踏みつけたりしないのに、もう馬もよけることが出来ないくらい死体が転がっていること。
「わたしは機関銃兵でした。どれだけ殺したか……子供をつくるのが怖かった。…でも、あたしはいまでもまだなにも許してません。これからも…ドイツ人の捕虜を見たときはうれしかったわ。その人たちが見るも哀れだということがうれしかったの。…あたしは二つの人生を生きてきた気がします。ひとつは男の、もう一つは女としての……」
「人を殺すってむずかしいことよ。…そりゃ、敵だけど、毎日会うし、『ダンケシェーン、ダンケシェーン』って言われて。これはむずかしいことよ。殺すのは難しいの」

「馬や小鳥たちの思い出」という章があるんですが、もう涙で視界が曇って読めない。
「どういうことかって、そうね、晩秋に渡り鳥が飛んで来るでしょ? その列がとても長く伸びているの。味方の大砲もドイツ軍も撃っている。でも、小鳥たちは飛んで来る。どうやって知らせたらいいの?「こちらに来たら危ないよ。ここは打ち合ってるんだから」って。どうすれば⁈ 小鳥たちは落ちてくる、地面におちてくる……」
三十年もそのことが忘れられないくらいの優しさを持った女性が戦場にいたという事実に泣ける。

「…病室は恐ろしい静けさに包まれていた。あんな静寂はほかのどこにもなかった。人間は死ぬ時に必ず上を向くの。横を向いたり、そばに誰かがいてもそっちを見るということは決してないの。上だけ見てる。天井を。まるで空を見ているように」
「私たちには武器があり、身を守ることができる。でも村人たちは? パルチザンにパン一個を与えただけで銃殺よ。私が一夜泊めてもらった、そのことを誰かが密告すれば、その家の人は全員銃殺。その家には女の人が小さな子供三人と住んでいた。夫はいなかった。女の人は私たちが行くと決して追い返さなかった」
「…私はどこにも遠出をしない、言いようがないんだけど、息子や孫たちと別れていられない。一日だって別々になるのは恐ろしいの。戦争に行ったことがある人なら、これがどういうことか分かるんだけど。一日離ればなれになるってことがどういうことか。たった一日だって……」
基本的にこのような無数の短文から各章が構成されて、一冊の本となっています。一人ひとりに固有の体験ですが、繰り返し繰り返し立ちのぼる煙のようにあらわれるフレーズがあり、個人的ながら普遍的である人間そのものが描かれる見事な構成です。

女性の弱さまでもが美しく、そして悲しい。そんな風に感じさせてくれるのは、優しい語り口に負うところが大きいのかも知れません。
この翻訳はかなり優れたものではないでしょうか?
もちろん、元々の内容が素晴らしいことを置いても、この訳で読めたことが喜びです。

いくらでも引用したくなりますが、初読で号泣してしまった箇所を最後に引いておきます。
「ドイツのある村でお城に一泊した時のこと。部屋がたくさんあって、すばらしいものばかり! 洋服ダンスの中は美しい服で一杯。一人一人がドレスを選びました。私は黄色のドレスと長い上衣。言葉では伝えられないほどきれい、長くてふわっとして。綿毛のよう。もう寝る時間で、みな疲れ果てていた。
それぞれ気に入ったドレスを着たままたちまち寝入ったわ。私はドレスを着てその上に長い上衣を羽織って横になった。
ある時は無人になった帽子屋で帽子を選んだこともあるわ。ちょっとでもかぶっていたかったので、座ったままで寝たの。朝起きてから……鏡をもう一度覗いたわ。
それから、みんなは帽子を脱いで、また自分の詰め襟の軍服を着てズボンをはいたの。何もとろうとしなかった。移動には針一本だって重たいのよ。いつものとおりスプーンをブーツの脛のところに突っ込んで出発……」

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